チェーンブックからの解放。

最近は天気予報も見ずに外出して痛い目にあう。

梅雨という時期なので、雨に遭遇して当然である。

カバンに入った本が湿ってしまうかもしれないから、心配だ。

保存状態が良ければ、気持ちよく本を読めると思う。

現在のワタシ達は本が読めない程に汚れたとしても、新品を再度買いなおせばいいし、紛失することが絶対にないデジタルブックというものまで存在する。

そしてなにより、本の入手が容易である。

 

然しながら、昔は誰もが本を入手できたわけではない。

 一般民衆が本を容易に入手し、情報を得れるようになったのは欧州では今から500年ほど前である。

それより前は本の価値はとても高く、一般民衆が手を出せたものではなかった。

 なんと、その価格は家を一軒建てられるほどであった。

 

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これは中世ヨーロッパの図書館である。盗難を防ぐために鎖でつながれた。

鎖付き図書に関しては飯田橋印刷博物館に展示されているので、興味がある人は見てみるといいと思う。

 

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 上の図は、いわゆる聖書の写本の一種である。

この本の装丁が既に、欧州に於いてのこの時代の本の価値を表象している。

本が一般人からかけ離れたものであった理由としては、まずは製作費にある。

まず、この時代の紙は現代とは違って、羊皮紙であった。

何百ページの本を作るとすると、何体も羊が必要となったので、この時点でかなりの費用がかかる。これだけではなく、羊皮紙のみでなく、羽ペン、インクなども必要とされた。

そして、さらに理由を挙げれば、本を作成するときには逃れられない手作業がとても大変なものであったからだ。

この時代にはまだ印刷技術というものは発展しておらず、人がが一文字一文字丁寧に書き込んでいたのである。その大変な作業は、司祭、職人の務めとされたのである。

 

これらの苦労については、私より詳しくまとめている方がいるので、そちらを紹介しておく。

羊皮紙工房さん

http://www.youhishi.com/manuscriptmaking.html

 

昔の人にとって聖書の教えは聖職者より頂くものであったというのは、本を持ち、かつ文字を読めたのが聖職者くらいしかいなかったからであるということに改めて納得がいっただろう。

 

 

 

東洋での進んだ製紙技術はタラス河畔の戦いを通して西へと伝わった。それが15世紀、ヨーロッパへと届き、グーテンベルク印刷機が開発された。

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読み書き能力を欠いた人にとって読みやすい図式化された聖書や、簡単にまとめられた聖書などがヨーロッパに広がった。インターネット革命に匹敵する情報媒体史における革命である。

そしてその後、印刷革命は宗教改革を加速させ、プロテスタントという勢力の成立、三十年戦争など一連の歴史上の大事件の引き金になった。

 

ワタシ達は今、日常的に本を読んでいる。

先人の努力の末に写本が残り、印刷技術があるので、ワタシは感謝の念をたびたび抱く。

本を読めることは幸せ。